いろはのことのは。

対話を通して筆文字で言葉を贈る〝言葉贈り忍者〟として活動しています。忍者としても密かに活動中。

間違えても良い。

どうも!
忍者系表現者として心理学、哲学、脳科学神経科学、外国語を学びながら1対1の対話を通して筆文字で言葉を贈る〝言葉贈り人〟の活動をしている色波です!

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お久しぶりの更新となりました!

今日は〝間違えても良いんだよー〟について書こうと思います。

 

 

僕は11月から英会話スクールに通うようになりまして改めて英語を学んでいるのですが、約1ヶ月半経った今感じたことを書いていきたいと思います。

 

 

本題に入る前に僕自身の英語歴史を書いていきたいと思います。

有り難いことに小学生の頃から英会話スクールに通わせてもらっていまして、中学生になる頃には当時のみんなよりも英語に対して馴染みが深かったのです。

でも中学生になってからというもの全然勉強しなかった僕は誰の目にも明らかに成績が下がっていきました笑

そして最も苦手な教科の一つになってしまったのです。

 

 

そんな僕が高校生になり、英語が苦手なまま高校生活は過ぎていくのですが、高校2年生の時に語学研修でオーストラリアに行かせてもらってから漠然と海外を意識するようになりました。

将来何したいかわからんけど外国語を学びたい!と英語系の大学に入りました。

 

 

しかし、元々勉強をする習慣をつけていなかった僕は大学ではお世辞にもきちんと勉強はしてませんでした。

でも、英語で演技する授業はとても面白かったのを今でも覚えています。

あの授業が無ければ英会話に対するブロックがあるままだったと思います。

 

 

大学を卒業してからは観光地で海外の方も多く訪れるお店で働いていたので、そこそこお話する機会もありました。

そこで拙くても恥ずかしがらなければ大概の人は耳を傾けて聞いてくれるってことを学びました。

 

 

そして今数年ぶりに英語を勉強しているわけですが、とにかく知らないことが多すぎる。

まるで中学一年生の時のように純粋にわからないことはわからないって言うし、理解出来た時は最高に嬉しいしこんな感覚久しぶりでした!

 

 

思い返せば中学や高校の授業では当てられたりみんなの前で答える時、間違えたらどうしよう、間違えたら笑われるんやろうなっていう気持ちがあって堂々と間違えたりわからないことをわからないってなかなか言えなかったなぁと。

 

 

でもわからないままどんどん授業は進んでいくし、新しいこと覚えないといけないし、またわからないし、でも聞けないし、、の繰り返しでした。

 

 

今改めて中学生の英語から学び直していて、中学生って凄いことをやってるんやなぁって思うしもっと良い教え方は無いのかな?とも思うようになりました。

わからない時にわからないって言える環境も大事やし、間違えることって悪いことみたいな風潮もやめて良いと思う。

特に勉強に関してはどんどん間違えて良いし、わからないことはわからないって言っても良い。

気分が乗らない時は気分が乗らないって言っちゃって良いと思うし、しんどい時はしんどいって言って良いと思う。

 

 

間違えないとわからないこともあるし、わからないのにわからないまま知ったかぶりをしてそのままスーッと進むことの方が後々面倒くさいことになる。

 

 

だから思い切って間違えよう。

失敗は成功のもとと言うけど、失敗なんてなくて全ては成功へのプロセスなんやと思うから。

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今日も貴重な命の時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!